昔はデートのときの互いの恋情を〝比べる〟道具があった。伊勢物語第二十八段は力学の話……?
いまも昔も、恋人たちはお互いの恋心をつい比べてしまうものです。
私はあの人のことばかり考えているけれど、相手はどうなのか。おつきあいするようになってデートしていても、なぜかお互いの心の熱さや重さ、深さを比べてしまいます。
伊勢物語第二十九段は、そんなデートの別れ際、相手の思いの軽さを洒落まじりの歌(下掲)でちくりと刺した女性の話です。
などてかく あふごかたみになりにけん
水もらさじと むすびしものを
〝あふご〟は、漢字では朸と書きます。発音は「オウゴ」です。こう解説しても、具体的には思い当たらない方がほとんどだと思います。滅びかけた語なのでしょう。
この朸とは、天秤棒のことなのです。下載の絵は、この段の物語絵ではないのですが、やはり伊勢物語の別のシーンの見立絵(八十七段)で、天秤棒で荷を運ぶ人が見られます。このように、天秤棒では二つの荷の均衡を取りながら運びますよね。
朸のバランスを取るのはなかなか難しいです。ですから、朸を読み込んだ上の歌を言葉通りに解せば次のようになります。
(なぜ、朸《天秤棒》で水を運ぶと、いつのまにか片方だけがいっぱいで片方が空になってしまうのかしら。桶をつり下げる綱はしっかり結んだつもりなのに)
ところが、当時の人は〝朸/あふご〟に同音の〝逢ふ期(逢うとき、逢瀬)〟をだぶらせて、洒落た言葉遊びにしていました。この歌では天秤棒の荷の重さを、逢瀬のときの心のバランスに喩えたわけです。ですから、先刻の歌はこうも読めるのです。
(あなたと逢ふ期《逢瀬のとき》は、こんなふうに絆が不安定でいつも片身になる《一人だけ取り残される》のね。懸命に仲を結んでおいたつもりなのに、なぜなの? 結局は私に気がないのよね)
と。
この彼は、今流にいえば、二人でいるときもタブレットを見続けていたり、脇目も振らずにゲームに励み、帰るとなればそそくさと……、といった風に、どこか心ここにあらずの行動をとっていたのかもしれませんね。彼女はそこで、あなたの恋心は私の思いよりずいぶん軽いのね、とすかさず拗(す)ねてみせたわけです。(※詠んだのは男性で相手は女性とする説もあります)
同じように、朸と逢ふ期をかけた歌は古今集などでも見られます。
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