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伊勢物語解説  こぼれ噺

新刊刊行記念コラム書き下ろし
服部真澄の
随時更新中
1
知っておくと楽しい・・・
伊勢物語の各パートには通り名がある

 伊勢物語は謎に満ちたお話で、作者にさえも諸説あり、断定されていません。書かれた時期も不明です。

 原文を誰がいつ書いたのかはともかくとして、物語として成り立ったのは西暦でいえば九百年代の前半世紀であろう……と推測されているくらいで、明らかにしようにも、証拠となる原本が残っていないのです。

 書写された伝本は数多くありますが、それぞれの構成やパート、細部に異同があって、どれが源流と決めきることはできません。

 そんななかで、いま多くの場合ベーシックとされているのは、藤原定家が自筆で校訂した「天福本」系統の忠実な写しとされるものです。なかでも、学習院所蔵の『三条西家旧蔵・伝定家筆本』は信頼度の高い本の一つとしてよく用いられています。

 私の解説もこの本を元にしたものです。

 このケースでは、物語のパートは百二十五に分かれ、それぞれにナンバリングがされています。伝定家筆本には〝第一段〟とは記されていません。下記のように、冒頭に〝一〟と漢数字を記してあるのみです。

 

一 むかしおとこうゐかうふりして

  ならの京かすかのさとにしる

  よしゝてかりにいにけりその

  さとにいとなまめいたるをんな

  はらからすみけりこのおとこ

  かいまみてけりおもほえすふる

  さとにいとはしたなくてありけ

  れはこゝちまとひにけりおとこの

  きたりけるかりきぬのすそを

  きりてうたをかきてやるそのお

  とこしのふすりのかりきぬをな

  むきたりける

 (以下略)

 

 便宜的に、それを巷は〝第一段〟と捉えています。

 さて、そのナンバリングとは別に、伊勢物語の各パートには、通称があります。

 いまでは忘れられかけているので想像しがたいと思いますが、昔、伊勢物語は時代を超えて人気が高く、古くから珍重され、書の手本にもなり、リバイバルブームもあったので、有名な段の内容はおおむね共通理解されていたのです。

 そのため、いつ誰が始めたのかはわかりませんが、段の内容を簡潔に捉えたタイトルがつけられ、慣習的に通称で呼ぶことが始まったのでしょう。

 例えば、第三段は、話に海藻のひじきが登場するので「ひじき藻」と呼ばれていますし、浅間山の火山を題材にした第八段は「浅間の嶽(あさま の たけ)」として知られています。

 皆さんもご存じの、業平の有名な下記の歌

 

 ちはやふる 神世もきかす たつた河

 からくれなゐに 水くゝるとは

 (*表記は原文による)

 

 が詠まれた第百六段は「龍田川(河)」という通称で呼ばれています。

 各段の〝早わかり〟には、この通り名を知っておくと、大まかに捉えやすいと思います。(続く)

2
伊勢物語の伝本の原文には、
段ごとのタイトルは記されていない

 コラム1でご紹介した通称は、伝本の原文には記されていませんので、後代につけられたものということになります。

 通称ができたゆかりや時代は、今後の研究を待つことになるのかもしれません。

 ただ、あくまでも通称なので、同じ段でも数種類の呼ばれ方をしているケースがあります。

 第一段からして、「鷹狩り」、「初冠り(ういこうぶり *原文表記は〝うゐかうふり〟)」、または「春日の里」と、少なくとも三通りの通称で呼ばれています。

 第一段の原文は下記のようにとても短いものです。

一 むかしおとこうゐかうふりして

  ならの京かすかのさとにしる

  よしゝてかりにいにけりその

  さとにいとなまめいたるをんな

​  はらからすみけりこのおとこ

  かいまみてけりおもほえすふる

  さとにいとはしたなくてありけ

  れはこゝちまとひにけりおとこの

  きたりけるかりきぬのすそを

  きりてうたをかきてやるそのお

  とこしのふすりのかりきぬをな

  むきたりける

  かすかのゝわかむらさきのすり衣

  しのふのみたれかきりしられす

  となむをいつきていひやりける

  ついておもしろきことゝもや思けん  

 

  みちのくの忍もちすりたれゆへに

  みたれそめにし我ならなくに

 

  といふうたの心はへなりむかし人

  はかくいちはやきみやひをなん

  しける

『春日の里』

伊勢物語 奈良絵本(国文学研究資料館蔵)より

春日の里絵本_edited.jpg

 短い第一段ではありますが、それでも通称が三種類もあるの

は、内容の濃さをも示しているのだと思います。

 とくに「鷹狩り」と「春日の里」の各タイトルに関しては、

標題を彷彿とさせる挿絵も描かれており、絵そのものが「鷹狩

り」や「春日の里」と呼ばれています。

 あるいは挿絵の呼称が先にあり、段の通称が後からつけられ

たのかもしれませんね。

 ともかく、確たる呼称ではないので、どう呼んでも本来は自

由なものだと思います。ただ、赤字部分で示したように 従来の

通称は、なるべく段中の文章から拾い出されていることもわか

ります。

( 続く )

伊勢物語嵯峨本(国文学研究資料館 鉄心斎文庫)『日本古典データセット』(国文研等所蔵)より

3
伊勢物語の各パートの通り名は、
挿絵の画題からついたもの‥?

 伊勢物語の段のそれぞれに通称がついた時期については、残念ながら前述のように確証はありません。

 ……ではありますが、おおむねの見当をつけるための手がかりのひとつは、江戸時代の摺本(版本)のなかにあります。

 

 下の画像は、江戸時代の版本の源流とされる嵯峨本のものです。

 この嵯峨本については、ブログ『伊勢物語絵解き』でも詳述していきますが、ここではともかく、手書きで写したものではなく刷られた伊勢物語本の草分け、つまり印刷ものの元祖的存在と思ってください。先駆けだけあって、その後の版本はこれに倣(なら)ったところが大きいのです。

 下掲は慶長十三年(1608)の嵯峨本の第一段の物語絵です。絵のページには文字が添えられていません。

嵯峨本春日_edited.jpg

伊勢物語嵯峨本(国文学研究資料館 鉄心斎文庫)『日本古典データセット』(国文研等所蔵)より

 では、下掲の画像はどうでしょう。絵の構図は嵯峨本とほぼ同じです。ところが、異なる点として、挿絵の矢印で示した枠の中に何かタイトル状の文字が付されているのがご覧いただけると思います。

寛文摺本春日_edited.jpg

伊勢物語寛文二年本(国文学研究資料館 鉄心斎文庫)『日本古典データセット』(国文研等所蔵)より

拡大してみても現代人には読みにくい

のですが、これは「かすがのミさと」

と読みます。

 漢字にすれば「春日の御里」となる

でしょう。後の通称の「春日の里」に

通じるものになります。

 文字つきのこの絵は江戸時代の寛文

二年(1662)年の伊勢物語の版本です。

 このように、挿絵にタイトル状のも

の──画題といってもよさそうです─

─が付された版本は、1655年の明暦元

年本から見られ、その影響で踏襲され

たのではないかと考えられています。

寛文摺本春日_edited_edited.jpg

少なくとも、慶長から明暦までの──もっと細かくいえば1608〜1655年の──間に、誰かが絵にキャプション(注釈)を添えたと考えられそうです。

 

 

(続く)

4
​編集上のミステイク?
シーンとタイトルの不一致​

  とはいっても、この頃つけられた画題と、いまの通称とは必ずしも一致していません。

 たとえば、下の画像は第三段、通称〝ひじき藻〟の段に添えられた物語絵です。絵のなかにも海藻のひじきが登場しています。女性の前に差し出されている盆に載っているのが、ひじきなのです。物語のなかのヒロインがひじきをプレゼントされたので、〝ひじき藻〟の通称で呼ばれているのですが、寛文二年本の挿絵には異なるキャプションがついています。

 これは比較的読みやすいと思います。「東五条」と書かれています。

寛文本 東五条_edited.jpg

伊勢物語寛文二年本(国文学研究資料館 鉄心斎文庫)『日本古典データセット』(国文研等所蔵)より

 ところが、東五条が舞台になるのは、実は次の第四段なのです。ちなみに、第三段の本文は下記で、物語の舞台は明示されていません。

 

三 むかしおとこありけりけさうし

  ける女のもとにひしきもといふ

  ものをやるとて

 

  思ひあらは むくらのやとにねもしなん

  ひしきものには そてをしつゝも

 

  二条のきさきのまたみかとにも

  つかうまつりたまはてたゝ人にて

  おはしましける時のこと也

 

 

 上記のように、第三段には、ひしきも(ひじき藻)とその掛詞が登場しますが、東五条とは書いてありません。

 続いて、四段の出だしを見てみましょう。

 

四 むかしひんかしの五条におほき

  さいの宮おはしましけるにし

  のたいにすむ人有けり

  ……(以下略)

 

 こちらのほうは、オープニングから東五条と場所が明示されています。

 このことからすると、絵師かプロデューサーが誤って四段の画題を三段の挿画につけてしまったとも考えられますね。

 私は、これは上のような凡ミスではないかと思います。

 ですが、実はミスだとも断じきれないのです。……というのは、三段と四段の主人公の女性は同一人物だと解釈されており(明示はされていませんが)、住まいの場所も同じであった可能性があるからです。

 絵師やプロデューサーがそのことを熟知していた場合は、三段から四段を一続きの読み物として扱っていたとも解釈できるのです。

 それにしても、三段の通称としては、文を読んでも絵を見ても端的に得心できる〝ひじき藻〟のほうがふさわしいとは思います。

 

(続く)

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